親しい人の身内が自死した。
鬱で悩んでたという話、どうやって励ましたらいいのかという相談を受けていた。
「病院には行ったのか?」
「カウンセリングをうけたほうがいい」
当たり前の返答しかできなかったけど、もう少し深刻さを伝えるべきだったのか。
適応障害で希死念慮がまとわりついて離れない時期が自分にもあったから、痛みもわかっていたのに。
「なんで大切な家族がいるのに馬鹿なことをするんだ。」
相談者はそう言った。
それは違う。
自分が家族に迷惑かけているのが申し訳なさすぎて消えてしまいたくなることってあるんだ。
『相談して、頼って』って言われてもみんな生活があるから、本当に頼りたい時に結局はひとりで踏ん張らないといけない場面が多すぎて、『結局誰も助けてはくれない』って思うんだ。
生活も何もかも全部横において寄り添ってくれる人なんて居やしない。
そう再認識して自分も辛くなって、身が引き裂かれるような思いでこれを書いている。
『ウェルテル効果』という言葉がある。
自殺報道の後には自殺者が増える現象のことである
心が弱い人間は自殺者の気持ちが憑依したように心が痛み、それを遂行しようとするのだろう。
自分もまた心が引っ張られているその一人だ。
それと同時に後悔がある。
命を救える一つの細い線があったかもしれない。
なぜそれを繋げなかったのだろうか。
消えてしまいたい強い気持ちと恐怖と闘いながら、藻掻きながら、最後にはひとりで亡くなっていったその方の事を思う。
生きるのと死ぬのは紙一重だ。
そのボーダーラインを超える瞬間は、本当にあっという間なのだろう。